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痛快ウキウキ通り

『或る夜の電車』撮影しました山本と申します。裏方が書くのは恥ずかしい限りなのですが、渋谷とキムくんについて少し書かせてもらいます。

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東京には谷しかなくて、地元の京都から上京し初めて渋谷を歩いたとき、二十歳の僕は頭が痛くなった。平地と格子状の道でできた京都と違い、渋谷の街はすべてが無秩序で、東西南北を向いていない道路に怒りを覚えた。スマホも無い時代、道玄坂の109Y字路でどちらに曲がればいいのか見当がつかなかった。どこに行こうにも坂で疲れる、こんな場所に人が集まるなんて東の人間は変わった奴だらけだ、そもそも何故、うどんの汁があんなに黒いんだろうか。青臭い大学生にとっては渋谷より新宿が適度で、歌舞伎町の猥雑さは分かりやすい形で刺激的で、時たま都心に出ては歌舞伎町の無修正DVD店を漁り、風俗のキャッチに晒されながらホテル街にあるバッティングセンターに行った。
キムくんと初めて出会ったのは、彼の恩師の紹介で待ち合わせした時だ。彼はきっちりと約束の一時間後くらいにやってきて、僕は某M学院時間というのがある事を知った。その流れで一緒に『ベスタの浴室』という自主映画を作る事になるのだが、彼は現場に可愛い彼女を連れて来ていて、ひどくむかついた。その頃は、渋谷もキムくんも何かしっくりこなかった、僕は童貞だったから仕方がない。

それから10年以上が過ぎた、僕のほんの10年にさえ渋谷はよく登場した。いつか道に迷わなくなり、渋谷にいる多くは地方出身者だという事を知った。渋谷のラブホテルにひとりで休憩するのが趣味だという子にいつか恋をした。初めてのデートもシネマライズだった。仲の良い友人の昔の趣味は、渋谷のヘルスに行って、射精せず、ただ話をする事だったらしい。渋谷はすべてを受け入れてくれる、妙な安心感すら感じるようになった。百軒店の塩素臭さも愛おしい。さすがにこの映画のロケまで、まさか新年をここで迎えるとは思っていなかったが。

渋谷が谷なのは字の通りで、銀座線は渋谷と四谷では地下鉄じゃなくなってしまう。『或る夜の電車』で二人が歩いたキャットストリートの地下には渋谷川が流れていて、水は坂の下へ、谷の底へ流れ込んでいき、宮下公園あたりで宇田川とひっそりと合流する。宮下公園の歩道橋での撮影最終日、地下の河川と無数の下水道に思いを馳せた。日本中、もしかしたら世界中からやってきた、精液も愛液も尿も汗も涙も、すべての液体がスクランブル交差点の地下で混ざり合って混ざり合ってもしかしたら、そのどろっとしたものは実はとても澄んだ何かに変質しているのではないか、今撮っているものはそういう事なのかもしれないと思いながら、街灯の下での撮影は暗くて難儀した。しかし、生粋の東急線東京育ちの彼になぜこの気持ちがわかるのだろうかと悔しくて、またひとつ、キムくんのことが嫌いになった。書き忘れたが、渋谷と違い、キムくんとはまだしっくりいっていない。監督とカメラマンの関係はそれでいいとも思う。